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辛い…
# by w-tagebuch | 2010-02-28 14:27 | 生・死・苦しみ・悲しみ

仕事を辞めます!

この一年間は本当に悩んで、
自分は何がしたいのか、どういう道に進みたいか、
本当に悩んで、それは苦しい時期もかなりありました。

でも、ようやく決めました。
仕事を辞めます。

今回はでもしっかり自分自身の想いと向き合えたと思います。
最終的には、僕は嫌でやめるわけでもなし、
もちろん辞めさせられるわけでもなし、
自分の人生と夢とを考えて至った決断です。

辞めていくからには、多くの人に迷惑をかけての上でです。
責任はかなり重く、なにせ総合職の最後の生き残りとして
一人やってきたのだから、思い入れだってあります。
でも、どうしたって自分の想いに嘘はつけなくて、
動く時期はもう今しかないのだと思ったときが10月のことでした。
それから何度上司と面接をしたことだか・・・

ここまで引き止められることから、自分のこの職場における
必要性をものすごく感じられたので、それはとても嬉しいことでした。
この間上司には、こうまで引き止められるのは、
人生にそうないよと言われ、それもその通りだと思いました。
今日は、退職をどこからか聞きつけた担任の先生が、
「先生が辞めるのは、困る。中和的な存在なんだから」
と声をかけてくれ、
それはそれはとても嬉しかったです。
入社一年目、担任の先生たちとはもう修復不可能なくらいの軋轢が
ありました。
それもこの一年で随分と変わって、
存在を信頼するまでになったんだなぁとしみじみ。
事務方の先生たちとは本当に素晴らしいコミュニケーションがあって、
笑顔もあって、人間も好きで、
本当に恵まれた環境にいる自分がこの一年でいたのです。
感謝ですね。本当に感謝。

でも何が起こるか分からないこの人生、
自分の志を形にしていく歩みをしていきたい。
自分が最も力を注ぎたい志に、挑戦してみたい。
その想いが、今や燃えに燃えているのです。

何かに確信を持って歩もうとする意志や確信も、
人生においてそうそうない。
今がその時。今こそが。

不安、疑問、希望、夢、色々な要素を天秤にかけて、
選んだ道です。どうか、見守っていて下さい。

今後の道、実は色々と可能性があって、
今は模索中です。
夢に対してどう動くか、
決まり次第、またご報告いたします。

だいぶ暖かくなってきましたね。
感染性胃腸炎がはやっているみたいで、
皆さん気を付けてくださいね。

W.

たった一度しかない自分の人生ですから、
社会がどうあろうと、人がなんと言おうと、
そんなことにひるむことなく、
大切な自分の人生を、志を持って進んでいけたらいい。
(星野 富弘)

# by w-tagebuch | 2010-02-24 21:38 | 人生・生活

想いを伝えるために

想いには色々あって
その一つ一つを伝えたい想いがある。

今僕は人生の節目にあって、
それが僕の生涯で大きいか小さいかは
まだわからないけど、
大きくさせてやるぞ、という想いはある。
僕には人生をかけてでも伝えたいある想いがあって、
まだまだファンタジーだけど、
でも少しでも形にできて、
少しでも伝えることができたなら、
きっと涙が出るほど嬉しいだろうと思う。
言葉でではなく、心で。

合唱の先生は言った。
想いを伝える合唱を僕らは確かに歌った。
それは人の心を動かす確かな力があったけど、
次のステップとして、
歌に情感を乗せるための技術もやっぱり必要だと。
その言葉が妙に気になって仕方が無くって、
頭の中でガンガン響いている。

「技術」

どうしても想いを伝えたい人がいる。
恋人だの、何だのうんぬんではなくて、
あなたはとても大切なんだと伝えたい人がいる。
それは前から僕のいう、「目の前」の人なんだ。
本気でそう想っているけれど、
下手くそで不器用でひねくれている今の僕には、
それを届かせる「技術」がない。
どうしたら伝わるんだろうって、よく考えるけど
きっと考えたってどうにかできるものなんかじゃないんだ。
本当に伝えたいんだけどね。本当に。

人間における技術って、
話術とか、コミュニケーション力とか、
そういうものよりも、
人間性なんだと思う。
その人自身が醸し出すものなんだと思う。
その人の篤い人生が作ったその人そのものが語るものなのだと思う。

うまく言えないな。
やっぱり、まだまだへたっぴだ。

その点サン・テグジュペリはやっぱり技術人だなと思う。
彼は『星の王子さま』にこう書いた。

『本当に大切なことは、目に見えない』


W.
# by w-tagebuch | 2010-02-14 20:24 | 仲間・家族・人間

現実ってなんだろう? 当然のこと?

この間、今後の道について園長に話す機会があった。
僕は何としても人(特に子ども)と自然を結びつける
そこに、使命というか夢というか、そんな想いを抱いている。
まだ概念に触れただけで、実際の行動はもう少し先になりそうだが。

人にふさわしい環境をつくるのが教育だとするなら、
子ども達にとってのそれは、僕には「自然」というキーワード
にこそようやく頷ける。
その理由はまた別の機会に話すとして・・・

とにかくその話を園長にした。
返ってきた答えが、
「あなたがやろうとしていることは
博愛だね。現実はもっとドロドロしてるんだよ。
心が純粋なのはいいけど、それじゃあこの社会では到底…」
というものだった。

現実のドロドロ。
それが社会。
信じたくないけど、それはその通り。
今自分が生きている世界だってそうなんだから、
社会の一線級で息をしている人は、
もはやドロドロを許容しているのだろう。
それが普通と、僕は言われているようだった。

でもね、純粋とかファンタジーとか言われるのは
もうたくさんなんだけど、
博愛を失ったら、もうなんでもないじゃん、それは。
僕はこう考える。
その気持ちを失ったら、もう生きている意味がないと。
目の前の人を大切に、大切にって、
真実を追い求めよう、求めようって
その想いが一つ二つ連なっていったら平和なんてすぐやってくる。
その気持ちに蓋をして、人がつくった頼りない「常識」とか「普通」とか
そんな服を着たら、じゃあ一体人は何のために生きてるの?
って、そう思えてしまって仕方がない。
現実を現実にしないで、ドロドロにしてるのは誰?

実は僕は「博愛」なんて言葉すらあやしく思えていて、
何でかわからないけど、そう思っていた時期があって、
そのモヤモヤはマザーテレサの言葉によって解決した。

とある記者が、ある時マザーに言った。
―「あなたのしていることは、ホスピタリティーにあふれていますね」
するとマザーは、
―「ホスピタリティーなどという言葉は知りません。
  わたしは、当然のことをしているまでです」と。

うん。その言葉を見たとき、目が飛び出そうになった。
行為は、博愛とかホスピタリティーなんて言葉で片付けられるほど、
非人間的じゃないと。
それはもっともっと身近にあるはずのもので、
もっともっと日の光を浴びていいはずのもの。
そんなものの一つ二つ、それを見つける生き方を。

苦しいかもしれないけどね。
ドロドロに妥協した自分を見て苦しむより、よっぽどいいや。
子どもからしたらさ、ドロドロの大人に教育語られたくないもんね。

W.

「子供」(石垣 りん 詩)

子供。
お前はいまちいさいのではない、
私から遠い距離にある
ということなのだ。

目に近いお前の存在、
けれど何というはるかな姿だろう。

視野というものを
もっと違った形で信じることが出来たならば
ちいさくうつるお前の姿から
私たちはもっとたくさんのことを
読みとるに違いない。

頭は骨のために堅いのではなく
何か別のことでカチカチになってしまった。

…(後略)…

# by w-tagebuch | 2010-02-07 00:07 | 人生・生活

大人への詩

子どもの頃のことをノコギリで切り放して
あぁ、いつしか大人になっちゃった

「でも」とか「~だけど」なんてたくさん言うようになって
不平や不満のパレードだ
悩み悩みで風ほどのため息
しまいには人を裁くようになってさ
自分で自分を複雑にしちゃったりなんかして

あぁ

何のために生きてるの?
# by w-tagebuch | 2010-01-30 23:40 | 仲間・家族・人間